となみ散居村ミュージアム

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散居村について

散居村とは

 富山県の西部に位置する砺波平野は主に庄川と小矢部川が形成した扇状地です。
およそ220キロ平方メートルの広さに屋敷林に囲まれた約7,000戸を超える家(農家)が点在する散居村が広がっています。
 砺波平野の散居村の成り立ちは、それぞれの農家が自分の周りの土地を開拓して米作りを行ってきたことに由来します。農地が自分の家の周りにあることは、扇状地上での田植え後の朝夕の水の管理、施肥などの管理、刈り取ったあとの稲の運搬など、日常の農作業をするためにはとても効率の良いことでした。
 また砺波平野の散居村の特徴としては、それぞれの家の周りに屋敷林をめぐらせてきたことです。この地方では屋敷林は「カイニョ」と呼ばれ、冬の冷たい季節風や吹雪、夏の日差しなどから家や人々の暮しを守ってくれました。スギの落ち葉や枝木などは毎日の炊事や風呂焚きの大切な燃料として利用されました。またスギやケヤキ、タケ等は家を新築する際の建材や様々な生活道具の用材としても利用されました。
 このように昔の散居村の人々は、自分の家の周りの農地を耕して米や野菜を作って生活し、日常生活に必要な資材を屋敷林から調達するという、きわめて自給自足に近い生活を送ってきました。
 散居村という集落形態は、砺波平野で暮らした先人たちが、自然に働きかけて自然との共生を図って残してくれた知恵の結晶といえるものです。

1.散居村の成立

 砺波平野を流れる庄川は、かつては主流と幾筋もの支流に分かれており、その流れの変遷によって長い間をかけて扇状地を造ってきました。この扇状地では地表の土層が薄く、その下は砂や小石が堆積していますが、ところどころに土がより堆積した表土の厚いところが形成されていました。
 その周りより少し高いところ(微高地)に家を建て、洪水の害が及びにくい周囲の土地を開墾していったのです。

  • 扇状地の水田は「ザル田」と言われるほど、水持ちが悪く米作りに大切な水の管理が大変でしたが、庄川からの表流水が豊富であったため、水を引くことが比較的容易でした。
  • 近世に入り加賀藩の治水事業によって庄川本流の流れが固定され、支流の川跡を基幹用水として利用し、その用水より網目のような小さな用水路網が造られていきました。この用水路網の整備によって、さらに廃川地の開拓が進み、散居村が広がって近世末の砺波郡は27万石の穀倉地帯となっていたのです。

2.屋敷林(カイニョ)の役割

 屋敷林は開拓の当初、原生林の一部を残したのが始まりと言われ、冬の季節風や春のフェーン現象による強風などから家を守る防風林などとして、重要な役割を担っています。
屋敷林には、スギ、ケヤキ、アテ、タケその他多様な樹種が植えられました。

  • スギは水を好む樹木で、降水量の多い砺波平野では良く生育します。
  • 落ち葉や枝木は燃料となり、成長した樹木は建築材料としてかつて利用されました。
  • 実のなる木や花の咲く木も植えられ、下草には食用や薬草になる草本類も育てられ、屋敷林は農家の自給自足の暮しを支えました。

3.用水の生活利用

  • 用水は水田に水を引くとともに、かつては扇状地平野では地下水位が深く井戸を掘ることが難しかったので、多くの地域では家の敷地内に小さな水路を引いて、炊事洗濯や飲み水として利用されました。
  •  川には自浄作用があり、加えて人々は水を大切に扱ったので、下流まできれいな水が流れていました。

4.散居村の変化

 古くは日本各地にも散居村が多く成立しましたが、農作業の都合により、次第に農家が集まって集村化する傾向が一般的でした。
散居村が成立した近世初頭から現在まで、砺波平野でも散居村の形態がくずれかねない状況がありました。

  • 加賀藩の「田地割」は、年貢を課す農地の状態に公平を期すため「くじ引き」で耕作地を定める制度でした。しかし、人々は農地を交換し合って自分の家の周りに土地を集めるように努め、加賀藩もそれを認めていました。
  • 第2次世界大戦後の「農地改革」によって多くの農家が自作農となり、家の周りの農地を私有するようになり、一層米作りに励みました。
  • 昭和30年代後半から「ほ場整備事業」が始まり、水田は大型化・直線化し、新しい農道や用水路の整備が行われましたが、大型化した農地となっても交換分合が行われて家の周りに農地は保有され続けました。
  • 現在散居村の形は残っていますが、工場・住宅団地の混在化が進んで形態が崩れる地域が増えたり、住民の生活様式が大きく変わり、兼業化・組合化など農業経営の方法も変わる中、農業と散居村との関連性が次第に薄くなっており、貴重な散居村や屋敷林が減少しかねない状況が危惧されています。

5.散居村の保全と地域づくり

 昔の砺波地方では「タカ(土地)を売ってもカイニョ(屋敷林)は売るな」という言葉がありました。現代の暮しの中では屋敷林の大切さが見失われ、強風による倒木の恐れ、落ち葉の処理や枝打ちに手間や費用が掛かるため、家の増改築などをきっかけに伐採をする家が増えています。
 散居村の景観にとって、屋敷林の減少は大きなマイナスとなっています。散居村は砺波平野の長い歴史と風土の中で育まれた貴重な文化資産です。景観条例の制定や枝打ち支援事業の実施など、行政・地域・住民全体で話し合い、保全していく取り組みが進められています。 

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